ガーナで有名な日本人といえば、黄熱病の研究成果をたたえられ、銅像も建てられている野口英世さんが思い浮かびます。
しかし、実は野口英世さんよりもガーナで有名でかつ尊敬を集めている日本人がいるんです。
その人の名は、武辺寛則(たけばひろのり)さん。
今回は、その武辺寛則さんがガーナでどんな素晴らしい偉業を成し遂げたのかについてご紹介いたします。
武辺寛則さんってどんな人?
武辺寛則さんは、青年海外協力隊員として2年あまりにわたってガーナにあるアチュワ村の発展のため力を注いだ人物です。
もともとは商社につとめる会社員でしたが、25歳の時に退職し青年海外協力隊に参加、村落開発普及員として派遣されました。
その後、アチュワ村のために全身全霊をつくしましたが、27歳のときに不慮の交通事故で残念ながら亡くなられました。
しかし武辺寛則さんがアチュワ村に与えた功績は大きく、亡くなった後も慰霊碑が建てられ今も人々からたたえられ続けています。
武辺寛則さんの功績とは
アチュワ村は当時、貧困や干ばつに悩まされている貧しい農村でした。そんなアチュワ村に農業収入をもたらすため、武辺寛則さんは2つのすばらしい功績を残しました。
武辺寛則さんの活動1~養鶏
アチュワ村で農業を発展させるための第一段階として、武辺寛則さんはまず養鶏に力を入れる活動を始めました。
ガーナ人は卵が大好きなので、養鶏は短期収入が得られる手段だと考えたのです。
しかし養鶏には、エサ代やワクチン代など、大きな費用が必要になります。また、大雨による水害や、鶏舎が蟻に襲われるなどの被害もあり、養鶏はうまくいかなかったようです。
武辺寛則さんの活動2~パイナップル栽培
養鶏と同時に、アチュワ村でもともと少し行われていたパイナップル栽培を発展させる活動を始めました。
短期的に収入が得られる養鶏と違い、パイナップルは収穫までに2年ほどかかります。そのため途中で資金が足りなくなり、武辺寛則さんは各国の大使館をまわり資金援助のお願いに奔走しました。
その結果、パイナップル栽培は見事に成功し、アチュワ村特産品としてヨーロッパに輸出するほどに発展。村に豊かさをもたらしました。
村人に慕われ、外国人として異例の長老に就任
武辺寛則さんの働きはアチュワ村の人々の心を動かし、その絆はとても固いものになっていきました。
そして、アチュワ村の3番目の地位にあたる長老(ナナ・シピ)になってほしいと村人からお願いされます。その想いに応え、武辺寛則さんはアチュワ村の長老(ナナ・シピ)に就任したのです。
村の重要な地位につけたいと村人からお願いされるとは、いかに武辺寛則さんが信頼を集めていたかがわかるエピソードですね。
まとめ
ガーナで野口英世さんよりも有名な日本人、武辺寛則さんについてご紹介しました。
海外で活躍し今も尊敬を集めている日本人の存在は、同じ日本人として私たちもとても誇らしく思えますね!
これからも武辺寛則さんの功績はアチュワ村で語り継がれていくことでしょうね(^^)